前回からの続き。
人物名はすべて仮名です。
クレーム客が帰ったあと。
対応を終えた店長と話したら、なぜか涙が込み上げてきた。
それを悟られまいと、私はトイレへと向かう。
個室は空いていた。
いつもは店長がうたた寝するために籠る場所。
そこに逃げ込み鍵をかける。
涙が悲しみによるものなのか。
申し訳なさなのか。
自分でも分からなかった。
クレームは私が原因じゃない。
対応も悪かったとは思わない。
でも苦しかった。
同性が好きなこと。
店長が好きなこと。
誰かを好きになる気持ちにブレーキをかけること。
大好きな人のそばにいることがこんなに苦しいとは。
・・・。
5分くらい涙をぬぐい鼻水を啜り上げていただろうか。
早く業務に戻らなければ。
日曜で売り場は客でごった返している。
長い時間、仕事を放棄するわけにはいかない。
涙はなんとか止まった。
幸い接客が頻繁に発生する業務じゃない。
あまり顔を上げずにいれば、10分くらいで目の周りの腫れも引くだろう。
でもせめて水で顔を洗ってから戻ろう。
耳を澄ます。
個室の外に人の気配はない。
ドアを開けた、そのとき。
トイレの入り口から店長が入ってきた。
「どうした?」
店長は私の顔を見て、ビックリしたように言った。
「なんでもないです」
私は足早にトイレを出る。
結局、顔は洗えなかった。
そして私は一つの決心をした。
退職
1994~95年 平成6~7年 21~22歳
翌日は公休だった。
私は職場に電話をかけ、退職の意向を伝えた。
誰にも相談せずに。
「今日で辞めさせてもらいたいのですが」
つまり明日から出勤しないと言ったのである。
電話の相手はもちろん面接をした眼鏡の総務の女性。
どんな理由をつけたのだったか。
覚えていない。
「店長のことが好きすぎて苦しい」
当たり前だけど、そんなことは言わず。
「いろいろ思うところがあって、これ以上辛くて働けない」とか。
「ちょっともう無理なんです」とか。
そんな理由にもなっていないことを言ったような気もする。
当時の私は今以上に社会常識が欠如していて。
本来なら退職の意向を告げてから一定の期間は働かなければならないのに。
もちろん突然辞めることが非常識であることは分かってはいた。
ただでさえ現場は人員不足の状態。
シフトも更に大変になるのに。
ところが、驚いたことに総務の女性は引き止めなかった。
「そうですか・・・」
そんな風に答えただけだったように記憶している。
もしかしたら、店長から前日の私の様子が耳に入っていたのかもしれない。
「そろそろ辞めるかも」とか。
こうして私は人生初の職場を辞めた。
在籍期間は約10ヶ月だった。
「あらー! じゃあまた次のところ探さないとね!」
祖母はそう言った。
祖父は苦々しい顔をした。
母とその再婚相手の反応は覚えていない。
覚えていないということは、祖母と同じようなリアクションだったのだろう。
内心はガッカリしているが、私を傷つけないように気を遣っている感じ。
それが手に取るように分かる。
急な話だったこともあるし。
なんにしても。
彼らに私の葛藤や苦悩が分かるはずもない。
No pain, no gain
二週間後。
クリーニングから戻ったユニフォームを会社に返し終え、これで職場との繋がりはなくなった。
所属を失い。
定期的な収入を失った。
そして、もう二度と初恋の相手に会うことはないであろうということ。
あんなに誰かを好きになったのは後にも先にも彼だけだった。
きっと今ごろは、幸せな家庭を築いている。
きちんと暴力パワハラ部長と縁を切ってさ。
いい人と結婚して、子どもをたくさん作ったんじゃないかな。
男の子がいれば、店長に似たずんぐりむっくりになっているかも。
店長。
金山店長。
彼の方は私のことなど憶えていないだろうな。
二年半に及んだひきこもり。
そこから踏み出した最初の一歩。
この一年にも満たない最初の就労経験で私は何かを得たのだろうか。
その後さまざまな職場を経験した今なら、あの最初の一歩があったからここまでなんとか生きてこられたとは思える。
毎朝起きて出勤すること。
業務を覚えてこなすこと。
積極性と自主性。
すべてが自信になったのは間違いない。
でも一番は人との繋がりだろうか。
みんな、こんなダメ人間によくしてくれた。
人から信頼されること。
人を信頼すること。
結果的に彼らを裏切ってしまうことになったが。。
そう言えば、これを書きながら思い出したけど、林原さんから一度電話があった。
奥さんと3人の子を持つ正社員の男性。
私は謝罪した。
こんな形で辞めてしまったことを。
林原さんは別に怒っていなかった。
詮索なんかもされなかった。
それどころか、これから頑張ってと言ってくれさえした。
最後まで優しかった。
以降の就労では、とてもじゃないけど円満とは言えない辞め方をした職場の方が多い私からすれば、数少ない良い思い出として残っている職場。
ある意味、そういう職場だったからこそ、なんとか次のステップに進むことができたのかもしれない。
次のステップという意味では。
東京に引っ越すための100万円。
その目標金額には、まだ少し足りなかった。
それでも手持ちの貯金で実行するしかない。
このままこの街にいても、八方塞がりなだけなのだから。
・・ということで、「その20」まで続いた「ひきこもり脱出」シリーズは、人生最初のアルバイトを辞めたことで一旦区切り。
遡ると「その1」は2022年の4月なので、スローペースではあったものの丸3年以上もこのシリーズを続けていたことになり、私の人生において、やっぱりそれだけ重要な出来事だったんだなぁと思う。
次回からの記事をどうするか決めていないけど、やっぱりこのまま上京する話に繋げた方がいいのかな・・。
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