ひきこもりになったきっかけ(その4)

2021年7月23日金曜日

ゲイ ひきこもり 失敗談 体験談

山下との思い出2


1991年 平成3年 18~19歳


一年にも満たない大学時代の唯一の友人、山下とのエピソード。 

二つ目は私が一人暮らしのアパートから締め出された話。



大学に行かなくなった私はすっかり昼夜が逆転していた。


ある初秋の早朝、夜通し起きていた私は外にゴミを捨てに行った。

部屋に戻ろうとすると、ドアが開かない。










・・・どういうこと?


ゴミステーションはアパートの角を曲がって少し行ったところ。

鍵などかけてもいなければ、持って出てすらいない。


ゴミ出しの時間はわずか数分。

その間に誰かが部屋に入り、内側から鍵をかけた。

そうとしか考えられなかった。


まさか母が?!

そんなバカな。

久しく襲来がないのに、このピンポイントのタイミングで来るわけがない。


だったら、空き巣か!?

そっちの方がまだ可能性はある。

でも、やっぱり腑に落ちない。


おそるおそる新聞受けを押し開いて、部屋の中を覗き見る。

何も動くものはない。

誰かいるのは怖いが、逆に誰もいないのも奇妙ではないか?


建物の反対側に回って、窓越しにカーテンの隙間から窺う。

遮光カーテンを始終閉め切った状態なので、よく見えない。

ひきこもりの習性が裏目に!


もう一度ドアに戻り、耳を付けてみる。

何も気配はしない。

ドアはやっぱり開かない。


狐につままれたような気分。

と言っても、超常現象的なものは信じていない。

ただの例え、言葉のあや。


むしろ推理小説に登場する密室の逆バージョンのようではないか。


ならば、警察案件か?

いや、それも気が進まない。


そうこうしているうちに、肌寒いことに気付いた。

初秋だというのに、ゴミ捨てだからとジャージで出たからである。



こうなったら、大家の家に合鍵を借りに行くしかない!

転居の際、母と挨拶に行ったので場所は分かる。

歩いて2~30分ってところだ。


だが、まだ早朝。

さすがに失礼過ぎる気がした。


缶コーヒーの温かさ


寒くなってきたので、このまま外にいるわけにもいかない。

私は山下の家に行ってみることにした。


緩やかな上り坂を歩いて10分。

幸いにも山下は家にいた。

山下は気を利かせて、自販機で缶コーヒーを買ってきてくれた。


温かかったな、あの缶コーヒー。


時間調整したあと、一緒に家を出た。

私は大家の家へ、山下は大学へ。



大家は私の顔を覚えていたのか、疑いもせずに合鍵を貸してくれた。


同じ道を戻ってアパートへ。

やっぱりドアは開かない。


ドキドキしつつ鍵を回す。

施錠されているときの回転の向きに手応えがある。


カチャッ!


ノブをゆっくり回す。

そして・・・。


一気にドアを引き開けた!!

万が一、中にいる誰かが襲いかかってきてもいいように身構えながら。


しかし、誰も何も襲いかかってなんかこなかった。


誰かいますか・・・?

誰もいないのか・・・な?


部屋は荒らされた痕跡もなければ、誰かに入られた気配も皆無だった。


ホッとしたのも束の間、疑念が湧き起こる。

ひとりでに鍵がかかってしまうなんてことがあるのだろうか。


無理に捻り出せば、一つだけ考えられる可能性がある。


ゴミ出しとのときに、鍵が完全に開いた状態じゃなかった?

つまみが斜めになっているような感じで。

そして、ドアが閉まった衝撃で自然にロックされてしまった。


完全な納得はできないが、それくらいしか考えられなかった。










心のノック


大学町の生活で、私にとって山下は唯一頼れる存在だった。


その後も山下は、時折私のアパートを訪ねてくれた。

チャイムの鳴らない玄関を叩きながら呼ぶ彼の声に、私はドアを開けた。


ただ二人でとりとめのない話をして過ごした。

改めて一緒に自転車で、観光地である岬に行ったりもした。

そこに辿り着く途中の上り坂がきつかったが、楽しかった。


山下は、大学にも行かず働きもしない私を責めなかった。

それまでと変わらぬ態度で私に接した。


今にして思えば、山下は私に寄り添い、心をノックし続けてくれていたのだ。

それが意識的であろうが、無意識的であろうが。


しかし私は最後まで、本当の意味では彼に心を開かなかった。

どこまで行っても、腹を割った関係にはなれないと思っていた。


それは私がゲイだからだろうか。

それとも元来のひきこもり気質だからだろうか。


生まれ育った町へ戻る


1992年 平成4年 19歳


年が明けた。


私は大学のある町から、生まれ育った町へと戻ることにした。

負け犬のように。

大学に行かなくなった以上、その寂れた町にとどまる必要はなかった。


生まれ育った町に戻った私は、完全にひきこもりとなった。

同じ町に住むはずの小中高時代の友人たちとは連絡も取らない。


レールから転がり落ちた惨めな姿を晒すわけにはいかないのである。



山下には別れを告げなかった。

思い出すと、胸が締め付けられる。

私があのアパートを去ったあとも、彼はドアをノックしたかもしれない。


私は彼の友情を仇で返してしまったのである。


山下は今、どこでどうしているだろう。

願わくは、結婚して、家庭を築き、普通の幸せを手に入れていてほしい。


私のことなど、とっくのとうに忘れてしまっているだろうが。



これで私がひきこもりになったきっかけの話は一段落にしようと思う。

書き始めたときは、こんなに長くなるとは思っていなかったけど・・・。



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