ひきこもりになったきっかけ(その3)

2021年7月16日金曜日

ゲイ ひきこもり 失敗談 体験談

1991年 平成3年 19歳


しばらくすると、母もほとんど諦めた。

電話も鳴らなくなり、アパートに来ることもなくなった。

再婚相手に説き伏せられたのかもしれない。


かと言って、万事平穏な日々が戻ったわけではない。


そもそも大学にも行かず、仕事もしていないという現実がある。

そんな生活に安穏としていられるほど、強くない。

常に罪悪感と後ろめたさに苛まれる毎日なのである。


電話と訪問者に怯える日々


それに、電話や訪問者は母だけではない。

突発的なアクセスは常にあるわけで。


私からすると、電話が鳴れば母かもしれないと落ち着かなくなる。

そして、玄関先に気配があれば、やっぱり母かとビクつくのだ。


訪問者はまだいい。

玄関チャイムの電池を抜いているから。

気配に怯える程度で済む。


問題は電話だ。

そのときの電話機にはミュート機能がなかった。


そのため、鳴るたびに心臓がビクッと止まりそうになる。

更には、呼出音が途切れるまで動悸が収まらないのである。










大学時代唯一の友人


ところで、私が大学に入ってから友人を作れなかったことは、以前書いた。

にもかかわらず、私には一人だけ同じ大学に通う友人がいた。


彼の名は山下(仮名)。

体は小さくてすばしっこく、子猿っぽいイメージだった。


山下は大学に入ってから作った友人ではない。

高校三年のときのクラスメイトだ。



私が進学した大学は国立の単科大学。

総合大学に比べて学生数も少ない。


そうなると、同じ高校から複数の学生が入学する確率は非常に低い。

たった二人、私と山下だけが、同じ大学に入学したのである。


同級生というだけでなくクラスメイト。

しかも、席が前後だった時期もある。

実際、そのときはよくふざけ合ったりしていた。


気心知れた友人のはずだった。

私が普通の男だったなら。


大学では私と山下は学科が違っていた。

そのため、たまに会う程度の付き合いとなっていた。


山下との思い出1


山下との間には鍵にまつわるいつくかのエピソードが思い出される。

一つ目は、二人で繁華街に出かけようとしたときの話。


移動手段が自転車しかなかった私たちは、長い坂を下り始めた。

ちょうどスピードに乗り始めたとき、事件は起きた。


前輪についている鍵のキーホルダー。

それが不自然に引っかかり、曲がっていることに気付いた。

このままだとスポークに絡まってしまうかもしれない。


そこで私は右足を伸ばし、直そうとした。

下り坂を自転車で走りながら。


それが間違いだった。

私は見事に空振りし、右足がスポークに挟まったのである。


人の足がスポークに挟まるとどうなるか。

実際には回転するスポークと、固定された外側の金具に足が挟まったわけで。


タイヤは強制的に回転を止められる。

つまり、前輪だけ急ブレーキをかけられた状態となるのである。


次の瞬間、私の体は自転車ごと空中を前方に一回転した。


本末転倒。

ミイラ取りがミイラになる。

情けは人のためならず。


・・・違うか。


そのとき私は人生で初めて、現実世界でのスローモーションを体験した。


世界がゆっくりと転回する中、胸ポケットから自宅の鍵が飛び出した。

鍵の行方を目で追う私。

私の左手の甲が地面に打ち付けられるのと、鍵が着地するのは同時だった。










前を走っていた山下も、音に驚いてすぐに走り寄ってきた。

彼はしきりに私の体を気遣ってくれたが、私は鍵の行方が気になっていた。


スローの世界で観察し続けた、鍵の落下地点へと向かう。

果たして、雑草の中に落ちた鍵は難なく見つけ出すことができた。


今のところ、スローモーション体験はこの一回だけ。

なんとも不思議な体験だった。


言うまでもないが、繁華街に遊びに行くことは中止。


私の左手の甲は、翌日には濃い紫色の内出血となって腫れ上がった。

山下は繰り返し病院で診てもらうよう私に勧めた。


だが、私は行かなかった。

痛みはそれほどでもなかったから、骨は折れていないだろうと踏んだ。

それに、病院に行くのが億劫だったし、なんとなく怖かった。


幸い、日を追うごとに腫れは引き、色も元に戻っていった。

それでもやっぱり完治するまで何日もかかったのだが。



・・・長くなるので、その4へ。



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