母の死(その2)

2021年8月13日金曜日

アラフィフ ひきこもり プライド 体験談

両親にきょうだいがいる都合上、分かりやすくするために家系図を作成しました。今回の登場人物は、母方の叔父と叔母です。



叔父


2021年 令和3年 49歳 (現在)


8月1日の夜。

警察との話が終わったあとすぐ、叔父に電話を入れた。


叔父と話すのも相当久しぶり。

なにしろ、こちらからは一切連絡を取らないのだから。


叔父は母の弟だ。

たしか2歳下なので、70歳を超えたあたりのはず。


受話器の向こうの声は、若いころと変わらず優しげに響いた。



叔父がまだ働いていたとき、出張で東京に来たことが数回あった。

そのたびに彼は私と会いたいと連絡してきた。


おそらくは母と祖母に頼まれたのだと思う。

様子を見てきてくれと。


だが、私はここでも拒んだ。

正直、親にも親類にも、もう二度と会う気はなかったのである。


今にして思うに、それは恥の気持ちだったのかもしれない。


ひきこもりだった過去。

ゲイである自分。

失敗作を形成した人生。


それらを知る人たちとの縁を切りたかったのである。

過去を消したかった。


私が引っ越すたびに連帯保証人になってくれた叔父でさえも。

ゲイであることを打ち明けた私に優しく接してくれたというのに。



叔父は数日前に母と電話で話したそうだ。

だから、突然のことにビックリしたと。


叔父への母の訃報は、母の住む町内の会長から最初にあったとのこと。

次いで警察から。


発見時の詳細や警察が貴重品を保管していることを叔父は知らなかった。

やはり法定相続人である私が優先されるのだろう。


叔父は始めこそ私に帰ってくるよう口にしたが、すぐに理解してくれた。

同居のパートナーが身体障害者で、長く家を空けられないことも。

ひきこもり気質で社会性がないことも。


「だいじょぶよん。任せて。全部やるから」

私の気持ちを敏感に察した彼は、わざと茶化すように言った。


そういう人なのである。


他人が困難であれば、自分が買って出ればいいと。

揉め事が起こりそうであれば、自分が緩衝材になればいいと。

そういう人なのである。


話が逸れてしまうが、叔父が母より先でなくて本当によかったと思う。

叔父がいなければ、私がすべてを処理することになっていただろう。


私が感謝を伝えると、叔父はこう言った。


「○○(私の名)が、元気だってことが分かっただけでもよかった」



その夜は、なかなか寝付けなかった。

様々な思いが去来した。

繰り返しになるが、母が亡くなっても悲しくはない。


だが、心に何かしらの機微が生まれたことは間違いなかった。


叔母


翌8月2日の昼下がり、叔父から連絡があった。

警察から母宅の鍵を借り、家の中を見てくると。


なんと頼りがいのある叔父だろう。


そう思っていた矢先、叔父は電話を叔母に取り次ぐと言った。

叔父の妻。

叔父との結婚披露宴で、幼い私が花束を手渡した人だ。


直感的に嫌な予感がした。



叔父は結婚を機に家を出たあとも、ことあるごとに実家に顔を出した。

あるときは一人で、あるときは夫婦で。


やがて叔父夫婦に子供ができた。

先に男の子、その三年くらいだったかあとに女の子。

私のいとこである。


小学生の季節休みには、叔父宅に何度か泊まりに行ったこともある。

一緒にテレビゲームで遊んだ叔母。

ネズミが主人公のゲームがやたらと上手かった。


基本的には朗らか人。

そして昭和的な常識を持つ人。

だからこそ、躾には厳しかったのかもしれない。



冬休みに叔父宅に遊びに行ったときの出来事だ。


叔母は、男の子の方のいとこと一緒に雪かきをするよう私に言いつけた。

近所の子と互いに手伝い合いながら、と。


私たちはそれに従って、雪かきを始めた。

もちろん遊びたかったが、逆らえない何かがあった。


三人で、まず叔父宅の玄関前とガレージ前。

そこを終えると、近所の子の家。

だが、ここで近所の子が言った。


「あとは自分でやるからもういいよ」と。


雪かきから解放された私といとこは、家へと戻った。

ところが、話を聞くや叔母は私たちを𠮟りつけた。


自分たちの方だけ手伝ってもらって、相手を途中で切り上げるなと。

もう一度行って、最後までやってきなさいと。



今にして思えば、叔母の言うことは正論中の正論なのだ。

いや、その当時だって正論だ。


だが、なぜか私の心にはひっかかりが生じた。


叔母の言い方だろうか?

のちの近所付き合いを念頭に置いた大人の計算を察知したからか?

あるいは女性にありがちな融通の利かなさを感じ取ったからか?


いや、これはたぶん私のプライドが原因なのだと思う。

諸悪の根源の一つであるプライド。


それがもう、小学生のころから発現していたのだ。

しかし、子供の私はそんな自己分析もできず。


とにかくそのとき、叔母の正論を私は素直に受け止められなかった。

そして40年ほども経つのに、その出来事を覚えているのである。



久しぶりとの定型の挨拶もとりあえず、電話の叔母はこう言った。


「私ら、全面的な協力はできないわ」


予感は的中した。

一瞬の間に、いろいろなことが頭をよぎった。


叔父は全部やってくれると言ったのに。

協力が期待できないなら、やはり私がやらなければならないのか。

こんなときだけおんぶに抱っこは、さすがに虫がよすぎるよな。


など。


きっと叔母は、気に食わなかったのではないか。

こういうときだけ都合よく自分たちを動かされるのが。

今まで音信不通だったくせにと。


もっと言えば、数年前に祖母が亡くなったときのこともある。

私の母と叔父の母親だ。


母はすべて叔父に任せたのだと思う。

母も世間知らずだったし、なによりうつ病だったのだから。


私はと言えば、留守電に気付いたのが一週間ほども経ってからだった。

すぐに気付いたとしても、やり過ごすつもりではあったけど。



叔父はともかく、叔母はなぜ自分たちばかりと思ったのではないか。

もちろん邪推かもしれない。

ただ、私が叔母の一言で、咄嗟にそう思ったのは事実だ。


もし、それが当たっていたとしても、これもまた正論中の正論。

私には何も反論する余地はないのだが。



ところが、叔母は更に続けた。

「葬式とかお通夜の費用は私らが立て替えるの?」


私は一瞬、二の句が継げなかったが、なんとか絞り出した。

「火葬だけでいいです。費用が必要なら事前に振り込みます」


私は自分の声が硬くなったことに気付いた。

よそよそしくなったことにも。


そして、圧倒的な疎外感が襲った。


そうか。

やっぱりもう私は親族の一員ではないのである。


自分でそう望んで、縁も便りも切ったはずだったのではないか。

なのに、まだ笑顔で迎え入れてもらえるという幻想を抱くなんて。

世間知らずにもほどがある。



自嘲の私を尻目に、叔母は金の話を繰り返していた。

私が地元に戻り、全部やるべきだとも。


「聞いてると思うけど、長いこと家を空けられないんですよね」

私は身体障害者のパートナーの話を出した。


「そうだよね~」

叔母の声には、納得できないという色が滲み出ていた。

パートナーの話は、明らかに叔父から聞いていた様子だったのに。


先刻より、私には疑念が生じていた。

叔父も同じことを思っているのだろうか?

叔母の言葉は、叔父が言わせているのだろうか?



そのとき、微かに叔母の後ろで叔父の声が聞こえた。

何を言っているかは聞き取れなかった。

しかし叔母がそれに呼応して、私にこう言った。


「あ、そうか。コロナに感染したらまずいから帰ってこれないか」


おそらく叔父が私への助け舟を出したのだろう。

叔母の今しがたまでの勢いは弱まった。


再び電話を代わった叔父は、挨拶もそこそこに急いで通話を終えた。

金の話になることを避けたかったのだろうか。



携帯電話を置いた私は思案した。


金か。

当然のことである。


本来であれば、やはり私がすべてをやるべき立場なのだ。

それを叔父に動いてもらうのだから、当然経費も手間賃も必要だろう。

前もって考えていなかったのも、私の社会性、あるいは常識のなさだ。


早速、火葬のみの費用をネットで調べる。

まずはそれに相当する金額を振り込もう。

加えて、のちに同程度の金を渡す。


そのように言えば、快く動いてもらえるだろうか。


さすがに通夜や葬式の費用を出すつもりはない。

そもそも母は誰とも付き合いがなく、参列者もほとんどいないはず。



夕方、母宅から戻った叔父より、また連絡があった。

家の中の書類をたくさん持って帰ってきたと、叔父は言う。


冷蔵庫にはほとんど何も入っていなかったそうだ。

やはり、一日一食だったのだろう。


「そう言えば、警察から室内にあったお金を返してもらったよ」


鍵を借りに行ったところ、警察で保管していた母宅の金を渡されたらしい。

それは、まず振り込もうと思っていた金額に近かった。


私はそれに加え、考えていた金額を上乗せすることを提案した。

すると、叔父は口調も強く拒否した。


「でも、さっきの叔母さんの・・・」

「いいから!足りなくなったら言うから!」


私の言葉は、叔父に遮られた。

やはり昼の叔母の言葉は、叔母の一存で出たものだったのだ。


そして、叔父は叔母の電話の言葉に腹を立てたのかもしれなかった。


私と叔父は、母を火葬のみで納骨することに合意した。

警察からの引き渡しが可能になれば、叔父がすべて手配してくれると。



話が一段落したので、私はいとこのことでも聞いてみようと思った。

女の子の方は、ずっと前に結婚したと聞いているから、孫もいるのでは。


ところが、叔父はすでに通話を終わる雰囲気を醸している。

柔らかい口調の中に、これ以上立ち入れない霧のような気配を感じる。


近くに叔母がいるからだろうか。

単に母宅から戻り、疲れているからだろうか。


私は一抹のもどかしさを抱えたまま、電話を切った。


続く。