母の死(その5)

2021年8月30日月曜日

アラフィフ ひきこもり 体験談

この記事の登場人物は、引き続き叔父(母の弟)とその妻(叔母)です。








疑念


2021年 令和3年 49歳 (現在)


母の火葬および納骨は、叔父のおかげで滞りなく終わった。

だが、私はその後に厄介事が持ち上がることを予想していなかった。


相続手続きを含む、事後処理。


ここでも叔父は地元の役所や金融機関に足を運んでくれた。

ただ、さすがに相続関連は私が自ら行う方がいいという結論に達し。

関連書類などを郵送してもらうことに。



ところが。


この日に届くと言われた当日。

待てど暮らせど郵便物は来ず。


叔父は速達で送ったと言うのに。


何かの手違い?

配送が遅れている?

まさか不正?


持ち前のネガティブシンキングが発動。

時間を追うごとに、疑念が抑えきれないほど膨れ上がっていく。



私は母の一人息子である。

母の再婚相手には、前妻との間に子供が二人いるが相続権はないらしい。


つまり、母の遺産は私一人が相続することになる。

遺産とも呼べないほど、微々たるものだが。


それでも、この郵便物は確実に手に入れる必要がある。

アラフィフで、無職で、貯金は減る一方なのだから。

少しは生活の足しになるはずだ。


・・・なんと恥ずかしいアラフィフなのだろうか。

母の死を悲しみもせず、遺される金ばかり気にしている。


自分で書いていて情けなくなる。


だが、それに輪をかけて情けない告白をしなければならない。

18時を回るころには私は、控えめに言って発狂寸前だったのだ。


まさか叔父がネコババ・・?


あろうことか、私は叔父を疑っていた。

私の代わりに様々に動いてくれている叔父を。

全面的に信頼しているはずだった叔父を。



しかし、叔父を疑うには理由があった。

実は、連絡を取り合うなかで、こんなことがあったのである。



年金受給者が亡くなったとき、未支給年金というものが残る。

年金は後払いなので、これから支払われる分がそれだ。

母はもちろん年金受給者だった。


その母の未支給年金を、叔父夫婦が私に断りなく得ようとしていたのだ。


事後報告というかたちで、叔母が手続き後に私に知らせてきた。

黙っていてもバレるかもしれないから、先手を打ったつもりなのだろう。


「年金事務所に行ってきたんだ」


なぜか金の話はいつも叔母だ。

未払い分を叔父の通帳に振り込まれるように手続したと、叔母は言った。


叔母の声からは、うしろめたさを隠すように照れ笑いがこぼれていた。

まるでちょっとしたいたずらを告白する子供のように。


叔父夫婦は母宅にあった金を警察から返してもらっている。

私はそれに上乗せして振り込むことを考えていた。

今回、私の代わりにいろいろやってもらっているのだから。


そのため、私もこう答えた。


「もちろん、もらってください」


振り込む代わりに、それで済ませば話は早い。

それは本心だった。


少なくともそのときは。


叔父夫婦も、もらって当然と思って手続きを進めたのだろう。

これくらいの駄賃があってもいいはずだと。


だが、しばらく経ってから私の中に納得できない気持ちが生まれた。

やっぱり順序が違う、と。



・・・そんなことがあったため、私は黒い疑念に囚われていた。

底のない沼に飲み込まれていくように。


そして発狂寸前の私は、人生で初めての衝動に駆られていた。


暴れ出したいのである。

大声をあげ、テーブルをひっくり返し、壁を殴りつけるというような。


いわゆる家庭内暴力の一種だろうか。


私は自分に危害が加えられたとき以外、暴力に訴えたことは一度もない。

今回も人に対して、どうこうする気持ちはない。


でも、初めてそういった行動に出る人の気持ちが分かった気がした。


それは、人を強く疑う気持ちから生まれるのである。

当然の権利が、奪われるときに生まれるのである。

自分の無力を痛切に感じるときに生まれるのである。



私の暗黒面は限界に近付いていた。


このままでは、自分の気持ちがコントロールできなくなる。

そうなる前に、私は先刻より考えていたことを実行に移そうと決めた。


アルコールに頼ることにしたのだ。


やめようやめようと思いながら、毎日のように飲む酒。

薄めてはいるものの、毎日のように飲む酒。

そんな大人にはなりくないと思っていたのに、毎日のように飲む酒。


この日は濃いまま飲んだ。

効き目は覿面だった。


私は暴力をふるわない代わりに、意識的に喋りまくった。


叔父夫婦を疑っていると。

信頼していた人に裏切られたら、もうこの先の人生はないと。

こんなことになるなら、最初から全部自分でやればよかったと。


私の嘆きをパートナーは黙って聞いていた。



その夜、私は酔いに任せて早めに寝た。

楽しみにしていたNHKの「ひきこもりラジオ」も聞かずに。


ベッドに横になったあと、叔父にショートメールを送った。

断末魔のようなメールだった。


到着


翌日の朝、私はそれなりに落ち着きを取り戻していた。


最悪の場合、送られてくるものがなくても手続きは可能。

冷静に考えれば、おそらくはそのはずなのだ。


なぜなら、実際の金は金融機関にあるのだから。

書類等がなくても、相続人であることを別の形で証明すればいい。


それでも、郵便物は手元にあった方がいい。

どちらにしろ届かなければ、どこかで間違いがあったことになる。



8時過ぎに叔父から着信があったが、出なかった。

そして、郵便局に先に問い合わせた。


対応してくれた局員は有益な情報を教えてくれた。

速達はこの日の昼までは届く可能性があると。


通話を終えたあと、再び叔父からの着信があったので今度は応答した。

昼までに届かなければ、発送した郵便局に行ってくれると叔父は言った。


責任を感じているようだった。


やはり私の疑念は、お門違いもいいとこなのだろうか。

恩知らずの恥知らずなのだろうか。



果たして、速達は到着した。

昼になる直前に。


私からの報告を受けた叔父は、心の底からホッとしたような声をあげた。


「よかったね~! 安心したね~!」


その声に、疑いを抱くような響きはなかった。


だが、一度闇の底に堕ちた私の心は、完全に晴れることはなかった。

考えてみれば、私は若いころから人を疑ってかかる性格なのだ。

どこまでいっても親類ですら信じられないのは、私の問題である。


きっとこの疑念は、手続きが完了するまでは拭えないのだろう。


ただ、どちらにしてもこれが終わるまでだ。

すべてが終われば、金輪際彼らとの繋がりはなくなる。


疑念が私を縛る苦しみは、過去の代償なのだ。



8月30日、月曜日。


いまだ事後処理は3分の1程度しか進んでいない。

しかし、母の弔事も終わり、叔父とのやり取りもかなり減った。


なので、この件についてはここらで一区切りにしたい。

もしかすると、次の記事で余談的なものを書くかもしれないが。