ゲイの発端(その2)

2021年12月6日月曜日

LGBT ゲイ プライド 体験談

久しぶりの更新。


引き続き、ゲイの発端について。

一つ目の記事では私がゲイになったと思われる理由を書いた。


ゲイは「なる」ものか、もともとそう「ある」ものか。

そこに引っかかる方は、前記事をお読みいただければと思う。



さて、ゲイの発端にはいろいろあると書いた。


同性が性の対象であることの自覚。

初めての恋愛感情。

一人目のパートナー。


それぞれが発端と言えるだろう。


そこで本記事では。

私が初めて同性に特別な思いを抱いたときの話を書こうと思う。


幼馴染み


吉田透(仮名)という同い年の幼馴染みがいた。


吉田とは、保育所も小学校も同じ。

家もたった四軒隣だった。


とおるくん、○○(私の下の名)ちゃん。

互いにそう呼び合っていた。


幼いながらに優しく男っぽい雰囲気を持つ吉田。


同い年にもかかわらず。

私は彼のことをどこか兄のように感じていた。


彼の家は砂利屋。


道を挟んだ家の向かいに少し広めの土地を持っていた吉田砂利店。

うずたかく積まれた砂や砂利。


トラックやショベルカーなどの重機が頻繁に出入りしていた。










私と吉田、そして近所に住む他の友人とで、よくその砂利山で遊んだ。

男の子にとっては、少し危険が伴う方が遊び場としては面白いのである。


言うまでもないが、重機が稼働しない休みの日のことだ。


それでも今なら、休みであろうと立ち入りが禁止されるような場所。

良くも悪くも緩い時代だった。


脱走


1975~76年 昭和50~51年 3~4歳


片親だった私は、幼少のころ幼稚園ではなく保育所に通っていた。

母親がフルタイムの公務員だったからだ。


1歳だか2歳くらいから、日中はその保育所に預けられていたそうだ。


場所は家から母の職場のちょうど中間のあたり。

バスに乗って行くような距離だった。


なぜ、そんなに遠くの施設だったのだろう。


そのころは祖父母とも一緒に暮らしていて、祖母は専業主婦だった。

だから近所の幼稚園でもよかったのではないかと。

祖母が夕方迎えに行けばいい。


でも、母と私は実家に出戻りなわけで。

小さい私には知らされていなかったが、いろいろあったのだろう。


その後、私と母は実家を出ることになるのだから。



それはそれとして。


ここでちょっとした逸話を。

私はこの保育所から脱走したことがあるらしい。


保育所の先生がいないことに気付き、大騒ぎになったと。


で、探しに探して。

発見されたのが、なんと隣の集合住宅の一室だった。


一人暮らしの男子大学生と一緒にいたらしい。


どういう状況だったのかは判然としない。


私が自ら保育所から逃げ出したのか。

それともその男子大学生が誘拐したのか。


母があえて真実を語らないのか。

それとも実際に何もなかったのか。


特に事件とかにはならなかったようだが。

ただ、この話を口にするとき、母は「脱走した」という言葉を使っていた。


これがゲイの発端の一部なのかは分からない。

なんせこの出来事自体をまったく覚えていないのだから。


かなり小さいころのことだったのだろう。


トランポリン事件


1977~78年 昭和52~53年 5~6歳


さて、脱線はこのくらいにして。


私は毎日保育所に一番乗りしていた。

母の仕事が早くに始まるからだ。


そのため他の子供たちが来るまでの間、保育所は私の貸し切り状態になり。

すべての遊具は使い放題。


とりわけトランポリンがお気に入りだった。


ある日のこと、いつものように朝のトランポリンを独占していると。

突然、吉田が跳び乗ってきた。


遊ぶのに夢中になり、吉田が保育所に来たことに気付かずにいたのだ。


予想外の吉田の登場に驚いた私。

トランポリンの上で尻もちをついてしまった。


吉田はそんな私を気にも留めず。

ピョンピョンと飛び跳ね始めたのである。


吉田のジャンプに翻弄され、私はうまく動けない。


どうにかこうにかトランポリンから降りたとき。

涙があふれた。


独り占めしていたトランポリンを取られた悔しさからか。

無様に転倒したうえ、そこから逃げ出した屈辱からか。

相手が吉田だったからか。


もちろん吉田はトランポリンを私から強奪したかったわけではないだろう。

そもそもそのトランポリンは一人用ではなかったのだから。


頭では分かっていても、涙は止まらなかった。


吉田はようやく私に気付き。

隣に降りてきて。


「なんで泣いてるの?」


その言葉は非難するものではなく。

いつもの優しい吉田の気遣いの声だった。


ところが彼の言葉が優しければ優しいほど。

私の目からは涙があふれるのだった。


私は幼少のころから泣き虫で。

些細なことで泣いては、保育所の先生に慰められていたそうだ。


驟雨


1981~82年 昭和56~57年 9~10歳


近所に住んでいた私と吉田は同じ小学校に通った。


小学校は徒歩一分の近さで。

私たちは4年生まで同じクラスだった。


吉田は身長はそれほどでもないが、体格はより壮健になっていた。

それもそのはず、そのころ彼は町の柔道教室に通っていたのである。












それだけでなく、彼は学習塾にも通っていた。


文武両道の吉田は、当然のようにリーダー的存在になっていて。

学級委員長にも選ばれていたと記憶している。


私はと言えば。

そんな吉田と距離を置くようになっていた。


トランポリン事件を根に持っていたからではない。

皆のリーダーとなった彼を妬ましく思っていたからでもない。

砂利屋の後継ぎという身分の違いを感じていたからでもない。


ならば、何が私から彼を遠ざけたのか。

そのときは分からなかった。


しかし、今この歳になれば分かる。

それはきっと、彼に男を感じていたからだ。


まだ性的な感情には早い年齢。

一番近い言葉を選ぶとしたら、憧憬かもしれない。

それも、自覚しない感情だったのだと思う。


とにかく私は、吉田に近づきがたい気持ちを抱いていた。

親しくしてはいけないような気持ちを抱いていた。



ある夏の日。

私は小学校の校庭で一人遊びをしていた。


何をしていたのか。


おそらく築山の下で四つ葉のクローバーでも探していたのだろう。

あるいは学校の備品である竹馬を延々乗り回していたのだろう。


そのころの私に友人がいなかったわけではない。

ただ、一人っ子なので一人遊びも苦にならなかったのである。



予告もなく空が夜のように真っ暗になった。

驟雨の前兆だ。


慌てて一人遊びをやめ、大きな木の下へと逃げ込む私。

直後、横殴りの雨が地面を叩き始めた。


真っ白に煙るグラウンド。










そのとき、同じ木の下に一人の少年が走ってきた。


吉田だった。


彼は、やあ、などと言ったかもしれない。

私は彼の名を呼んだかもしれない。


覚えていない。


ただ、しばらく気まずい沈黙が流れたことは覚えている。


何を話していいのか。

どんな顔をしていいのか。


雨の中、不自然に逃げ出すわけにもいかず。

その場を取り繕うために頭は激しく回転するのに。

何もできないでいる。


「うちに行かない?」


沈黙を破ったのは吉田だった。


彼は、私を自分の家へと誘ってきたのである。

ちょうどその木から、学校の生け垣の間を抜けたところが吉田の家だった。


直感が私に告げていた。

誘いに乗らないようにと。

余計に気まずくなるだけだと。


ところが、気付くと私は吉田について生け垣をくぐっていた。



吉田の部屋は二階だった。

彼の妹の部屋と隣り合っていたが、妹は不在。


彼の家に上がったのは初めてで。


ベッドがあった。

雨を拭うタオルは厚手で柔らかかった。


とうとう私は。

吉田と自分とでは住む世界が違うのだと実感したのである。


何を話したか。

会話が途切れがちだったことだけは確かだ。


初めて訪れた友人の部屋。

男っぽく、がっしりとした体格で勉強もできる吉田。


部屋は吉田の匂いがした。


何か単なる友人に収まらない感情が膨らむ一方で。

また別の感情はしぼんでいく。

その正体が自分でも掴めない。


ただ、吉田と二人きりでいることが落ち着かないのである。


「そろそろ帰ろうかな・・」

10分と持たなかった。


「え、もう帰っちゃうの?」


名残惜しそうな吉田になんと言い訳したのか。

後にも先にも彼の部屋に入ったのはそのときだけだった。


そして、吉田とはそれきりだった。


学校でも。

私生活でも。


その後、吉田は国立の中学へ進学したと風の噂で聞いた。

入学試験のある中学だったから、やはり頭はよかったのだろう。



初恋と呼ぶには幼すぎる。

そもそもそのころは、自分がゲイであると認識さえしていない。


しかし、今でも吉田は私の中で理想の男の一人のような気がしている。

きっと理想の大人の男になっているはずである。


きっと。



ゲイの発端については、まだ続きます。