ひきこもり脱出(その1)

2022年4月11日月曜日

ゲイ ひきこもり ひきこもり脱出 体験談

ここ最近の記事は、ゲイの発端について書いてきた。

幼少期から高校生までの。


いい加減そろそろ。

こんな声が聞こえてきそうなのである。


いつまでゲイの話を書いているのだと。

ひきこもりの話をもっと書けと。


というわけで、このタイミングで。

私が最初のひきこもりから抜け出した話を書こうと思う。


当ブログを読んでくださる方は、やはり。

ひきこもり当事者やその家族が少なくないだろうし。


それらの方々が一番知りたいこと、それは。

ひきこもり経験者がどのように脱出したかだと思う。


まあ、私の人生全体で考えれば。

ゲイであることはひきこもりになった大きな要因の一つなのだが。


それに実は。

この話には私のゲイの発端の重要な一部も含まれるのである。


私がひきこもりから抜け出して最初に就いたアルバイト。

その職場で私は人生で初めて恋に落ちたのだから。



※この記事で書く時代には、少なくとも私の周りには「ひきこもり」という言葉はありませんでしたが、便宜上その表現を使っています。


ジグソーパズル


1992~93年 平成4~5年 19~20歳


最初のひきこもりを脱出した当時。

私は幼少のころ暮らした祖父母の家に身を寄せていた。


大学中退後、高校生まで過ごした町に戻った私は。

当初はマンションで一人暮らしを始めた。


もちろん母の金で。


母は再婚し、同じ町で再婚相手と二人での生活を送っていた。

そのため、一緒に暮らすことはなかった。


そもそも母とのストレスフルな生活に戻る気もなかったのだが。


マンションでの生活。

最初のうちは快適だった。


新築の1DKでバスとトイレは別々。

私には広すぎるくらい。


街に近かったので、よく書店巡りをしていた。

建物全体が書店のビルや、地方デパートに入っている本屋。


推理小説を買うには、書籍専門店が取り扱いが多いのだが。

デパートの方にも月に一度は必ず行っていた。


なぜなら。

そこには専門店で扱っていないゲイ雑誌が売られていたから。


それに、そのデパートにはジグソーパズルの専門店があった。


私は子供のころからジグソーパズルが大好きで。

500ピースくらいなら15分くらいで完成させられる。


その店にどうしても挑戦してみたいパズルがあった。


夕陽に染まる富士。

3000ピース。


正直なところ、ピース数は問題ではない。

時間をかければ、いずれ完成するのだから。


問題は金である。


はっきり覚えていないが、現在のものよりもずっと高価で。

そしてそれを飾るためのパネル(フレーム)、これも同程度の値段。


両方で一万円は超えたのではなかっただろうか。


当然、母の仕送りから出すわけで。

買うことにためらいはあった。


なら、小説やらゲイ雑誌はどうなのかという話なのだが。

やはり一度にこれだけの出費というのは。

なかなか踏ん切りがつかないもので。


結局、何度もその店に足を運ぶうちに。

買ってしまったのだけど。


店主のおじさんがタダでパズル用の糊をくれた。


通常ピース数の多いジグソーパズルには、最初から糊が添付されている。

完成したら上から塗って飾れるようにするために。


ところが、おじさんは添付された量では絶対足りないと言う。

これだけ大きなパズルを作るのだから、応援の意味も込めてと言う。


「だから、ちゃんと完成させてよ」


ボトルの糊を丸ごと一本手渡しながら、おじさんが破顔して続ける。


「パネルはどうやって持って帰るの?」


パネルはパズルが完成したときのサイズそのままで売られていて。

3000ピース用のパネルともなれば、相当な大きさ。

両手で抱えなければ持てなかったと記憶している。


「歩いて持って帰ります・・・」


ボソボソ答える私。


最初からそうしようと決めていた。

自転車では無理なので、この日は徒歩で店に行っていた。


「え、大変だよ」

思案顔のおじさん。


「そんなに遠くないですから・・・」


タクシーという手段も考えてはいた。


ただ、タクシーだと距離が近すぎて、嫌な顔をされるのではないか。

大きなパネルをどう乗せるのか。

そもそも乗り慣れていないので、なんか怖い。


そんなことを考えていたら、歩いて持ち帰るのが一番簡単に思えた。


実際に大きなパネルを持って歩くのは恥ずかしかった。

私はマンションに着くまで極力周りを気にしないよう努めたのだった。


えっちらおっちら歩く道中。

店主のおじさんとのやり取りを反芻した。


久しぶりの他人との会話。


それはとても温かいものだった。


スタック


街に出かけない日は、テレビを見たりゲームをして過ごした。

もちろんパズルに没頭する日も。


インターネットのない時代。


VHSテープ何本にも分けて録画した27時間テレビを繰り返し見たりもした。


昼夜逆転の生活。


空が白み始め、人々が動き出すころ。

焦燥感から逃げるように床につく。


普通の人の半日以上がすでに終わった昼下がり。

喪失感と自己嫌悪に苛まれながら布団を出る。


それらを吸っては吐くような毎日だった。



夜になれば、閉店間際のスーパーに行く。

売れ残りの弁当が値引きされる時間帯。


ある冬の日。

いつものように暗くなってから外に出ると。


吹雪いていた。


だからと言って、引き返すという選択肢はない。

食料のストックなど、家に置いていないのだから。


料理のできない私の冷蔵庫はほぼ空。

その日食べるものは、その日に買いに行く。


それにそもそも。

雪国に暮らす者にとって、多少の吹雪など怯むに値しないのである。


スーパーに着くと、一台の自家用車が駐車場でスタックしていた。

タイヤが雪にスリップし、前にも後ろにも進めない。


私が横を通り抜けようとしたとき。

車を押していた中年男性が声をかけてきた。


「ちょっとちょっと! 手伝って!」


それは人にものを頼む態度ではなかった。

もちろん知り合いでもない。


ところが、私はなんの躊躇もなくその依頼に応じた。


困っている人がいるから。

そんな親切心などではなく。


断ったり無視する方が面倒なことになりそうな予感がしたからである。

防衛本能とかそういうものか。


男性と一緒に、ひ弱な私の渾身の力で車を押す。


ドライバーがアクセルを踏む。


すると。

エンジンの最初の唸りで車はスタックから抜け出した。


私はそれを見届けるや否や、スーパーの入口へと向かった。

タイヤが掻いてジーンズにはねた雪を払いながら。


運転手からも男性からもお礼の声はなかった。


それでも私の心は晴れやかだった。


人の役に立ったことが嬉しかったわけではない。


きっと、ただ同じ暮らしを繰り返す単調な毎日に。

一つ、アクセントが生まれたからなのだろう。


罪悪感


やがて罪悪感が募ってきた。

母の貯金を食い潰していることに。


家賃、光熱費、食費・・。


大学を中退し、所属が完全になくなったことも影響していたと思う。

学校にも行かず、仕事もしていない、足場のない生活。


がらんどうの部屋で寝起きするだけの毎日。


何もできない自分。

免許も資格も何一つなく。

特技もない。


仕事に就かなければならない。

それは分かっている。


だが、履歴書を書くにしたって。

大学中退と。

その後のブランク。


それは現在進行形であり。

一日ごとに増えるブランクが、社会復帰を余計に遠ざけるのである。


学生のころ、なりたくないと思っていた社会の歯車。

ところが、歯車にさえなれない現実。


普通の人が当たり前にできることができない。


誰もが人生というレールに乗って進んでいくなか。

世界に自分だけが取り残されていた。


私は、ただ。


死にたいと思った。

死にたいと願った。


来る日も来る日も。


だが、結局のところ、その勇気さえないのである。


外を歩いているときに車が突っ込んでくればいいのに。

マンションに隕石が落ちてくればいいのに。


そんな他力本願で現実味のない死を望むばかりなのである。

勇気を必要とせず、苦しみもない死を望む甘ったれなのである。


ときに、声をあげ泣いたりもした。

一人ぼっちの部屋で。


そんなことをしても、何も解決しないのに。

そんなことをしても、誰も助けてくれないのに。


帰巣


そこにきて、隣の部屋の住人との間にトラブルも勃発した。

夜中に大音量の洋楽を流すのだ。


家賃の安いマンションであるからして、壁は厚くない。

今なら耳栓やヘッドホンなどの対策でやりすごすところだが。


そのときの私はと言えば。


うるさい!


そう叫んだり、壁を叩いたりした。


隣は若い女。

彼女の方があとから転居してきたが挨拶はなく、面識もなかった。


まあ、私も今までの引っ越し先で近隣に挨拶などしたことはないし。

彼女の方から挨拶に来ても、応答しなかっただろうが。


壁のこちら側で激昂する私。


彼女は音楽を止め、友人に電話をして、私の悪口を言う。

その声も丸聞こえなのである。


罪悪感と死にたい願望と近隣トラブル。

圧し潰されそうな日々。



ついに私は同じ町に住む祖母に電話した。

祖父母の家で暮らしたいと。


私が幼少のころを過ごした家。

無邪気で無垢な、一番古い記憶の残る部屋。


そこに戻りたいと。


受話器の向こうで祖母が逡巡したのが手に取るように分かった。

祖父の手前なのか。

本人が嫌なのか。


小学校5年生のときの引っ越しが脳裏をよぎる。

母と二人で祖父母の家から裏のアパートへと移った。


子供の私には分からなかったが、あれはきっとなんらかの理由で。

私と母が穏やかに、しかし冷然と実家を追い出された結果なのである。


それでも私は懇願した。


これ以上母に迷惑をかけたくないという気遣いよりも。

迷惑をかけ、貯金を食いつぶしている自分が嫌だった。


もちろん隣人も。


最終的に祖母は折れた。


こうして私は祖父母の家へと戻ることになった。

完成した富士山のパズルを携えて。


ひきこもりを脱出する目途も立たないままに。