ひきこもり脱出(その3)

2022年7月2日土曜日

ひきこもり ひきこもり脱出 体験談

本記事では、祖父母が入信していた宗教の話題に触れます。私自身は無宗教ですが、すべての宗教ならびにそれらを信じる方々を否定するものではありません。










祖父母


祖父母と暮らすようになって。

自分で食事の用意をしなくなったことも変化の一つ。


祖母が料理をしてくれるためである。

スーパーで買う出来合いの弁当から祖母の手料理へ。


とりわけ好きだったのが、昼食によく出たうどん。


乾麺なのだが。


出汁が利いていて。

ちくわなんかも入っていて。

卵なんかで閉じられていて。


肉や油揚げや天ぷら。

そんなものは入っていなかったのに。


すごく美味しかった。



自分で弁当を買いに行かなくなった代わりに。

祖母の買い物によく付き添った。


祖母は特に体が悪いわけではなかったが。

70歳手前くらいだったし。

重い荷物を持つ手伝いをしていた。


冬には家の前の雪かきや屋根の雪下ろしもした。


やはり居候としての後ろめたさがあったのだろう。

できることはやろうと思った。


それを無職の免罪符にしていた面も、心のどこかにあったと思う。



祖父はと言えば。

毎日のように町内の囲碁会などに出かけていた。


おそらく、できるだけ私と同じ空間にいたくなかったのだろう。

私も祖父がリビングにいるときは、可能な限り自室にいた。


互いに生理的に受け付けなかったのだと思う。


祖父からすれば。

毎日ブラブラしている私のことが気に食わないだろうし。


私と祖母が話したり、買い物に行くことにも嫉妬していたはず。



私からすれば。

人として軽蔑せざるを得ない点が多すぎる祖父。


それは一緒に暮らすうちに、より目につくようになり。


焼き魚の骨を、祖母に全部取らせたり。

ヤカンで湯を沸かせただけで大威張りしたり。


祖父の時代の男は。

外で仕事をして、給料を入れればそれで威厳を保てたのである。


家のことや子供のことは女任せ。


たまには子供(母と叔父)と遊んでやってくれと、祖母に懇願され。

紫煙渦巻くパチンコ屋や雀荘に連れて行くような人だし。


言ってみれば。


私がやっている祖母の買い物への付き添いだって。

祖父がやろうと思えばできることなのである。


あるいは、代わりに買い物に行ってもいいわけだし。


だが、やらない。


買い物は男の仕事ではないから。

買い物ごときで自分の時間が削られるのが嫌だから。



祖父は町内会の会長だった。

そういった地位ともなれば。


例えば、町内の会合やイベントのときに。

飲み物や食べ物の大量発注先を決める権力を持っている。


便宜を図ってもらいたい酒屋などから。

よく付け届けをもらったりしていた。


端的に言えば。

賄賂である。


公務員だった祖父は。

自分の娘(私の母)をコネで公務員にしたという話もしていた。


真偽のほどは分からない。


でも、その当時の私は。

精神的に潔癖なところがあり。


ズルをしたり、出し抜いたり、汚いことが嫌いで。


ずいぶんと歳を重ねた今となっては。

利用できるものはすべて使うしたたかさは持つべきだと思うし。


そんな生き方に憧れたりするのであるが。


ある意味で未熟だった私は。

とにかく家族のそういった部分を、浅ましいと思っていた。



最も軽蔑したのは、戦時中の話。


祖父の所属する部隊が戦地で出撃する日。


祖父は腹痛を訴え、行軍を免れたそうだ。

結果、部隊は全滅し、祖父だけが生き残ったと。


それを、まるで武勇のように得意げに語る祖父。


私はその腹痛が仮病だったのではないかと疑っている。

だが、そこが問題なのではない。


自分だけが助かったことを意気揚々と話すこと。

それが私の神経に障るのである。


こういうエピソードは枚挙にいとまがない。


私は祖父を嫌悪していた。


居候の分際で、家主に持つべきでない感情であることは分かっている。

だから口や態度にでは出さないようにしていたつもり。



しかしその噴出は、祖父の不在時に祖母に向いた。


なぜ祖父と一緒になったのか。

なぜ祖父と別れなかったのか。


なんと馬鹿げた質問だったろう。

なんと浅薄な正義感だったろう。


祖母は困ったように。

「長く一緒に居たら情は移るからね・・」


そうため息を吐くばかりだった。


宗教


さて、祖父母の家に住んでいると避けられないことがある。


一つは宗教の問題である。


本記事とはテーマが異なるので経緯は省くが。

うちは祖母から始まって、祖父、母、叔父が同じ宗教に入信。


特に祖母は熱心で。

近所に住む幹部信者と会ったり、拠点へと出かけていた。


私に対しても、小学生のころからアプローチがあったが。

入信しなかった。


私は元来、論理的な考え方が好きな人間なのである。

ゆえに根拠が薄弱なものは信じない。


霊魂も。

死後の世界も。

神の存在も。


だから、再び勧誘が始まっても帰依するつもりはなかった。

ところが、私に対する布教熱はすっかり失せてしまったようで。


そういった話題がなかったわけではない。

むしろ日常的にあった。


実際、ことあるごとに祖母は世間の様々なことを宗教に結び付けた。

そのたびに私との間に水掛け論が巻き起こり。


一方は前世の業を持ち出し。

もう一方は前世の存在自体を信じておらず。


一方が神の奇跡を説き。

もう一方は神の不在を説く。


スタートもゴールもズレている二人の話は交わるわけもないのに。



よく考えたら。


すべてに対して疑い深く。

すべてに対して理屈っぽく。

すべてに対して批判的な私。


そんな孫を入信させるのは、とっくに諦めていたのだろう。


祖母は自分の信じるものを否定する厄介な孫から。

自分のアイデンティティを守ることに必死だったのかもしれない。