ひきこもり脱出(その5)

2022年9月25日日曜日

アラフィフ ゲイ ひきこもり ひきこもり脱出 体験談

大学を中退し、ひきこもり生活に突入した私。


生まれ育った町に戻り。

マンションでの一人暮らしを経たあと。


祖父母の家へと身を寄せていた。



一人で暮らしていたころから。

変化したことを書いてきたが。


変わらないこともあった。


まず第一に仕事に就かないこと。

それに伴う死への憧れ。


自分以外の人たちは皆。


普通に働き。

普通に異性と付き合い。

普通に結婚し。

普通に子供を作り。

普通の幸せを手に入れていくはずなのに。


自分だけが取り残され。


いやむしろ。

普通に生きている人は。


普通を普通と自覚も意識もしないのだろう。


門限問題


1993~94年 平成5~6年 20~21歳


高校生までのサイクルに戻ったこともあった。


門限。


一人暮らしのときは。


閉店間際のスーパーへと出かけたり。

夜中にコンビニに行ったりしていたが。


祖父母の家では、18時に帰宅。

それ以降は外出しなかった。


こう書くと、まるで強制されているようだが。

そうではなく。


夕食の時間が決まっているため、それまでに帰宅するのである。


年齢的にはもういい大人なのだから。

外食してもいいし。


家で食事をしたあとに出かけてもいいわけだが。


友人がいるわけでもなく。

もともとインドアタイプということもあるし。


そもそも夜の街で遊ぶ勇気もない。

遊びたいとも思わない。


夜食も買ってある。


私はそれこそ保護者の下の学生のように。


ある意味で健全。

ある意味で大人になりきれない。


そんな生活を送っていた。


日中、出かける場所があるとすれば。

どこに住んでいても、やっぱり書店なのである。


ファッションに興味もなく。

グルメに興味もなく。


書店だけが、私の好きな場所だった。



ひきこもりの人は一般的に。

知り合いに会うことを極度に恐れ。


生まれ育った地元では。

特に日中出歩くことを避けがちだが。


不思議なことに。

中高時代の同級生に街中で出くわすことはなかった。


私自身もなぜか。

会わないだろうという確信めいたものがあった。


それほど大きな都市でもないし。

顔を合わせてもおかしくないのだが。


性欲問題


ところがである。

あるときから、私が通うようになった場所があった。


そのころの私は二十歳そこそこ。

性欲を持て余す年代なのである。


もちろん一人で発散はしていた。


レンタルビデオや雑誌で。


しかし、両方とも所詮。

紙や画面というフィルターを通したもの。


性欲がある以上。


直接的な刺激を求めるものである。


私は次第に、その感情を満たしたいと思い始めていた。

そのため、私は頻繁にある場所に赴いた。


先に言っておくが。

ゲイバーやその類ではない。


ゲイの誰も彼もがゲイバーに行くわけではない。


私は50歳になった今でも。

ゲイバーが嫌いである。


理由としてはまず第一に。


いわゆる女性っぽい仕草や言葉遣いが苦手。

そういった店の全部が全部ではないかもしれないが。


スタッフも客も。

いわゆるオネエ言葉を使うイメージで。


私には無理だった。


もしかするとそれは。

自分の中の女性らしい部分を。

嫌悪する表れだったのかもしれない。



第二に。


そもそも一対多人数が苦手。


実は、ひきこもりを脱出して。

上京(神奈川)後、最初に就いたアルバイト先の同僚と。


新宿二丁目のゲイバーに行ったことがある。


その職場には。

ゲイであることをオープンにしているスタッフが二人いて。


そのためなのか分からないけど。

ゲイフレンドリーなスタッフも数人いて。


彼らに誘われてゲイバーデビューとなったわけだが。


私以外はみんなその店の顔見知りで。

楽しそうにワイワイキャッキャくっちゃべっていて。


それはまた別の記事にするかもしれないので今回は割愛するが。


私は吐き気がするほど苦痛だった。


もちろん自分に合う店もあるのかもしれない。

だけど、そんなところをわざわざ探す必要があるとも思えなった。



話を元に戻そう。


私は若い性欲に導かれ。

ある場所へと通うようになっていた。


その場所で、私は二人の男性と別々に知り合った。


二人とも、年配の人だった。


一人目は一度だけ。

広場のベンチに移動し、一時間ほど話した。


50歳前後の細身の男性。


人生で初めて。

相手がゲイだと認識したうえで会話をした人。


わざわざこんな風に書くのは。


当然それまでの人生で。

近くにゲイが存在していたはずだからである。


人口の5~10%程度は同性愛者と聞いたことがある。


最小の5%でも、20人に一人である。


学校で40人のクラスがあったとして。

男女半々なら、男子の中に一人はいることになる。


だけど、存在はしていても。

互いにバレないようにしている。


そのため、相手がゲイと認識して接触したことがないのである。


それらしい人がいても。


「あなたホモでしょ?」などと。

聞くわけにはいかない。


自分がそんな風に言われたら嫌だし。

そう質問することで自分がゲイだとバレてしまうかもしれない。


そんなわけだから。

私は嬉しかった。


男が男を好き。

その事実を共有できる相手と話せることが。


そんなわけだから。

私はたくさん質問をした。


彼は結婚していると言った。

もちろん女性と。


そして二人の娘がいると。

そういう時代だった。


ある程度の年齢にもなって結婚していない男は。

ホモじゃないかと噂され。


一人前の男とは見なされず。

出世もできなかった。


私は女性と肉体関係が持てたのか聞いた。

持てたと彼。


私には想像もできなかった。

女性と関係を持つなど。



二人目の男性とは二回会った。

彼は自宅で歌の個別指導をしていると言った。


60歳くらいか。

背が低く、小太りだった。


二度目に会ったとき、彼の家に行ったが。

何もなかった。


私が拒んだからである。


帰り際、彼はタクシー代と称し、一万円を渡してきた。

いらないと言ったが、無理やりポケットに捻じ込まれた。


帰宅後、嫌悪感が強まってきた。


穢された気がした。

汚れた気がした。


この先また彼と会うとして。

そのたびに金を渡されるのだろうか。


だとしたら私自身、金目当てのようではないか。


別に彼は気にしないだろう。


そうまでして若い男と会いたいのだから。

会うだけではない何かを期待しているのだから。


ただ、私は気が重かった。

別に恋愛対象でもなく。


この先そうなる可能性もないように思える相手。


そもそも心配していることがあった。

その時代、エイズが問題となっていたのである。


もともと小心者の私は。

死に至る病を患うことが怖かった。


日々死を望んでいるくせに。

目の前にある死の可能性からは逃げたくなるのである。



数日後、私は夜に家を抜け出した。


すでに就寝した祖父母を起こさないように。

古い木の階段が軋む音をたてないよう時間をかけて。


家から最も近い電話ボックスへ。


当時は携帯電話はおろか、PHSもない時代。

ポケベルはあったのかもしれないが。


持っているわけもなく。


彼の家に電話し、別れを告げた。

もう会えないと。


たった二回会っただけの人。

別れというのもおかしな話。


だけど、私ははっきりさせておきたかった。

曖昧に繋がっている気配が煩わしかった。


受話器の向こうで彼は泣いているようだった。

もっと金を渡せばいいのかと。


とにかくもう会えないと告げ、私は受話器を置いた。

今思うと、笑い話にもならない茶番だが。


私は真剣だった。