ひきこもり脱出(その6)

2022年11月11日金曜日

アラフィフ ひきこもり ひきこもり脱出 体験談

ひきこもっている最中。


現代のようにSNSがあるわけでもなく。

オンラインゲームがあるわけでもなく。


そもそもインターネットがない時代。


家庭用ゲームやPCゲームでは。

つぶせる時間に限界があり。


一番時間をつぶしやすい書店へと出向くのである。


アルバイト情報誌


1994年 平成6年 21歳


私には気になっている雑誌があった。


週に一度、月曜に発売されるアルバイト情報誌。


推理小説やゲイ雑誌を物色しつつ。

そのオレンジの表紙を目の端に意識する。


なぜ目の端なのか。


ひきこもりにとって。

仕事の情報誌というものは。


直視して。

手に取って。

開くことだけで。


とても大きなエネルギーが必要となる。


そういった行動をとるということは。

自分が就労する一歩を踏み出すという意味で。


ページをめくり。

自分にできそうな求人を探すことは。


その先にある。

とてもとても高い壁に向かうことを意識することで。


期待よりも恐怖が強い行動なのである。


私は一つ深呼吸をしたあとで。

その平置きされた薄っぺらい冊子を手に取った。



それまで数ヶ月ほど。

そのアルバイト情報誌を立ち読みしていた。


そしてそのなかに。

「これは」と思う求人を見つけていたのである。


勤務地はあるショッピングセンター。

その地下にテナントとして入っているゲームコーナーの係員。


時給は560円。

たしかその時代、その地域での最低賃金ギリギリ。


今から考えると、ひどく安い気がするし。

事実、他の求人と比べても100円くらい低かったように思う。


しかし時給など、ある意味どうでもよかったのである。

いや、逆に安い方が気持ちが楽だった。


簡単な仕事だから給料が安いのだろうと。



その記事は私が立ち読みするようになってからずっと。

一度も消えることなく掲載され続けていた。


毎週月曜日に私は。

その求人がまだ載っているか確認していた。


掲載され続けているということは。

つまり、応募する人がいないことを意味する。


あるいは、採用されてもすぐに辞めてしまうか。


やはり時給が低いことがネックなのだろうか。

なんにしても、採用されやすいはず。


だったら、とっとと応募してしまえばいいと思うだろう。

だが、それが簡単にできるなら苦労はない。


できないから、ひきこもりなのである。


そして、その週の号にもその求人はあった。



・・・もし首尾よく採用されたとして。

通うなら自転車か。


いや、冬になったら雪が積もる。

そのときはバス通勤になるだろう。


立ち読みを繰り返すうち私は頭の中で。

自分が働く姿をシミュレーションするようになっていた。


脳内シム


私は子供のころから。

ちょくちょくゲームセンターに出入りしていた。


今の時代からすると、考えられないかもしれないが。


当時の多くの学校は。

子供のゲームセンターへの出入りを禁じていた。


クレーンゲームやプリクラが普及するまでは。

客層は限定されていて。


ゲーセンは不良の溜まり場。

ゲーセンは不良の始まり。


娯楽が少ない時代だったからか。

ゲームセンターで遊ぶための金をカツアゲする。


そんな不良も実際にいたし。

ゲームセンターで喫煙する中高生もいた。


昔のドラマなどでも。

そういった描写は普通にあった。


店側にとっても。

不良たちは、いわば金を落とす客。


ある程度は見て見ぬフリだった。


もちろん私自身は不良ではない。

純粋にゲームが好きなだけの子供。


実際に被害に遭ったことはなかったけど。

不良などという生き物は毛嫌いしていた。



そういったあまりよろしくないイメージではあったが。

働くとなると、どんな感じなのか。


サービス業ではあっても、接客というイメージではない。

裏方のような存在か。


客と接する場面は、それほど多くなさそうではある。


馴染みのあるゲームセンター。

そして接客がメインでない業務。


きっと力仕事ではないだろうし。

おそらく時間に追われることもないだろう。


何もない私。

何一つ取り柄のない自分でも。


なんとか働くことができるかもしれない。


視察


私は実際に勤務場所に行ってみることにした。


求人誌を手に取ることさえ躊躇するひきこもりが。

働くことになるかもしれない場所に赴くなど。


気が乗らないこと請け合いだが。


働かなければならないという焦燥感に身を委ね。

働きたくないという気持ちを鈍感力で霞ませて。


私はショッピングセンターの駐輪場に自転車をとめた。


地下へと降り、ゲームコーナーの前を歩いてみる。

それほど大きくはないようだ。


コンコースに面した位置にはクレーンゲームやメダルゲーム。

中の方にはビデオゲームの類が見え。


ポップコーンの販売機やちょっとした乗り物まであった。


やはりショッピングセンターなので。

家族連れがメインターゲットということなのだろう。


さすがに不良が入りびたるような雰囲気ではない。


そうか。

もし不良がやってきて、何かしら問題を起こすようなら。


注意したり。

場合によっては、危険な目に遭ったりするかもしれない。


だけど、ここならそういったことは起こらないように思う。



係員と思われる男性が2~3人いた。


白いシャツに安っぽい金のベストを着用し。

蝶ネクタイをしている。


もしここで働くなら、私もあの制服を着るのか。


平日の午前中ということもあって。

客は一人しかいない。


若い男の人。


格闘ゲームだろうか。

小刻みに、しかし激しくレバーを動かしボタンを叩いている。


係員は忙しげでもなく。


クレーンゲームの鍵を開け、中のぬいぐるみの位置を調整したり。

ゲームの筐体を拭いたりしていた。


『ここでならなんとか働けるかもしれない』


そう思った。

いや、思い込もうとしたという方が正しいかもしれない。


業務は大変そうでも難しそうでもない。

客と話すことがメインの仕事でもない。


この程度のアルバイトができなければ。

他のどんな仕事もできる気がしない。


それに業務をこなすということよりも。

面接に臨み、採用されることの方が大きな問題であって。


それだって先に述べたように。

長い間、アルバイト情報誌に掲載されている求人だから。


採用される可能性は、かなり高いように思えるのである。


ひきこもり脱出の最初の一歩としては。

願ったり叶ったりではないか。



ショッピングセンターを出ると。

高度を上げていく太陽が、ひどく眩しく感じた。


私は今見てきたところで働くのだろうか。

働けるのだろうか。

採用してもらえるのだろうか。


履歴書を書いて。

応募の電話をして。

面接に出向き。

採用担当に何を聞かれるのか。

大学を中退した理由。

その後の空白期間。

資格も免許も何一つなく。

特技もない。

志望動機?

どうやって切り抜けよう。

いや、正直に話してしまう方がいいのか。


生来のネガティブ思考が私を襲う。


息が苦しくなる。

動悸が激しくなる。


私は考えるのをやめた。