ひきこもり脱出(その7)

2022年12月28日水曜日

アラフィフ ひきこもり ひきこもり脱出 プライド 体験談


1994年 平成6年 21歳


翌週、私はオレンジの表紙のアルバイト情報誌を買った。


値段は100円。


100円。


たったの100円なのに。

買うことにものすごく勇気がいる。


買ってしまったら。

レールに完全に乗ってしまう気がする。


やはり働きたくない。

いや、働くことそのものが嫌なのではないのかもしれない。


面接で自分を評価されることが怖い。

採用されたとして、その職場の人と接するのが怖い。


自分に自信がない。


そんな心が磨り減ることは避けて。

一生暮らす方が楽なのに。


だが、やっぱりそうは言っていられない。


親は先に死ぬ。

遊んで暮らせるだけの財産もない。


生きていくためには。

自力で稼がなければならない。


自分で自分の人生に終止符を打てたらどんなにいいだろう。


でも、それも怖い。


実行した瞬間。

すべてがそこで途絶え、無に帰す境界。


こんな人生なら。

最初から生まれてきたくなかった。



アルバイト情報誌には、履歴書が一枚付属している。


履歴書。


人生にブランクが存在する者にとっては。

高い高いハードル。


おそらく書き直しをすることになる。

単体販売の履歴書も別に買っておく方がいいだろう。



部屋に戻り、例の求人が掲載されたページを探す。


あった。

まだ、消えていない。


早速応募の電話をかけてみる!


・・・わけがない。


そんなにとんとん拍子には進まないのである。


ひきこもりとはそういうものなのだろう。


この日は、アルバイト情報誌を買った。

それで一つスモールステップが進んだ。


いや、履歴書も別に買ったのだから。

ステップが二つも進んだのかもしれない。


次のステップは翌日以降。

そう自分のなかで言い訳を作る。


翌日か。

その先か・・・。


一つひとつに心の準備が必要だ。


気持ちには波があり。


基本的には。


やりたくない。

できるわけない。

自信がない。

どうせ無理。

死にたい。


などという逃げ腰の自分で満たされているのだが。


稀に。


今、このタイミングで!

と、想いが高まることがある。


前向きな気持ちでは全然なく。

切迫感や焦燥感という意味だけど。


そのいてもたってもいられないような。

突き動かすような波が来たときに。


あれこれ湧く言い訳に目を向けず。


ただそのビッグウェーブに身を任せることが大事。



ところが、私のビッグウェーブは。

それ以降なかなかやって来ず。


それからも毎週書店に通い。

アルバイト情報誌を買い。


そのたびに求人記事が記載されていることを確認しては。

胸をなでおろす日々を送ることになったわけで。


もしかすると、心のどこかで。


いつかその求人が。

消えてしまうことを期待していたのかもしれない。


そうなれば、働けそうな場所はなくなる。

働かなくてもいいのだと。


希望はないのだと。


働かなければいけないのに。

どこまでも逃げる言い訳を探す。


しかし、幸か不幸か。

その求人はいつまでも記載され続けた。


準備


そもそも応募の電話をかけるにしても。

事前に終えておかなければならないことがあった。


性格的に。


引き返せないポイントだったり。

失敗したくないポイントに達する前に。


すべての準備を滞りなく整えたうえで。

事に臨みたいのである。


例えば、この件で言うと。


応募の電話で恥をかきたくない。

畏まった電話など、ほとんどしたことがないのだから。


何も準備せずに相手と会話ができるとは思えない。


だから事前に会話の切り出し方や。

話す内容をメモにまとめておかなければならない。


さらには応募の電話をすることで。

面接の日程が決まることが想定される。


もし翌日に来てほしいと言われて。

もし履歴書を書いていなくて。

もし証明写真も撮っていなかったら。


ものすごくバタバタするのは間違いない。


焦るのは精神的負担である。


電話をかけたり面接をすることが。

ただでさえ心に負荷をかけるのに。


そこに余計な錘を乗せたくない。


なら、面接を余裕のある日程にすればいいと思うだろうか。

それも嫌なのである。


重要なイベントまでに期間があることで。

不安な日々を過ごさなければならないし。


それ以前に電話の相手と交渉するのも嫌だ。


相手から提案された日程に都合が悪いなどと言うと。

それだけで印象が悪くなり。

採用されなくなってしまうかもしれないし。


話がややこしくなって電話が長引くのも面倒だ。


とにかく極力相手の言うことを受け入れて。

最低限の会話で終わらせたい。


もちろん、今なら分かる。


面接の日程交渉をするだけで、印象が悪くなるわけないし。

自分の希望を伝えることは、社会人として当然のこと。


だが、その当時は自分の主張をすることが。

本当にマイナスに働くかもしれないと思っていたのである。


証明写真ボックス


前置きが長くなってしまったけど。

まず私は、履歴書に貼る写真を撮るために。


証明写真ボックスを利用することにした。


現代なら携帯で納得がいくまで繰り返し自撮りして。

自宅のプリンターやコンビニでも印刷できるだろう。


だけど、Windows95さえ発売されていない時代に。

そんな選択肢はない。


街の写真館で撮ってもらうこともできるけど。


初見の店に入ったり。

店員と話をすることがストレスなので。


証明写真ボックス一択なのである。


ただ、それでさえ初めての経験であり。

気持ち的には不安。


そこでやっぱり下見である。


そんなものを下見するなんて馬鹿げていると思うだろう。

ただ、私はとにかく不安材料を減らしたいのである。


できるだけの安心を得るため、遠回りに遠回りを重ねる。


もしかしたら。

そのあたりにもひきこもりたる所以があるのかもしれない。


ひきこもり当事者やその家族、支援者にとって。

なんらかのヒントになるかもしれない。


だから、あえて書いている。



幸い証明写真ボックスは。

よく行く書店の前に設置されていた。


周りに人がいないことを確認してから。


ボックスの側面に書かれたマニュアルを読む。

できあがった写真の取り出し口も付いている。


中に誰もいないことを確認し。

入り口に引かれたカーテンをそっと開ける。


右側には椅子。

左は操作パネルと画面、お金の投入口。


記憶だと、履歴書サイズの写真は700円だった。

決して安いとは言えない値段。



さて、あまり長い時間観察するわけにはいかない。


その日はただの下見であって。

ボックス周りをうろちょろしていると。


不審者と思われるかもしれない。


その日はとりあえずそこまで。

これでまた、スモールステップを一つ進んだ。