ひきこもり脱出(その8)

2023年3月9日木曜日

アラフィフ ひきこもり ひきこもり脱出 プライド 失敗談 体験談

前記事からずいぶんと間が空いてしまいました。


Twitterの方ではある程度書いていましたが、今年の1~2月はいろいろと気の重くなる面倒事が重なり、なかなかブログを書くという気分にはなれなかったのが理由です。


まあでも当ブログは収益化もしていないですし、無理せずマイペースをモットーにやっていきたいと思いますので、ご了承願います。


スーツ


1994年 平成6年 21歳


さて、大学中退を経て地元へと戻った私は。

祖父母の家へと身を寄せていた。


通っていた書店で買い続けるアルバイト情報誌。


そこに記載されていた求人に目をつけ。

遠回りしながらも。


応募に向けて動き出していた。



証明写真ボックスの下見を終えた私。

その数日後に実際に写真を撮ってみることにしたが。


ある理由から。

祖父母が二人とも家を留守にする日を選んだ。


証明写真を撮るにはスーツを着る必要がある。


私服でもいいと言えばいいのだが。

それでもし不採用の可能性が少しでも高まるのは避けたいし。


なにより、常識がないと思われるのが嫌だった。


なので、私はスーツで証明写真を撮ることにした。


一着しか持っていないスーツ。

大学入学のときに母に買ってもらったスーツ。


私が突然スーツ姿で出かけたら。

祖父母は当然理由を聞くだろう。


そして、それを母に伝えるだろう。


彼らには、私が求職活動をすることを知られたくない。


なぜなら。

期待されたくないから。


採用されなかったとき。

過剰にガッカリされたくない。


もっと言うと。

ガッカリしていない感じを装われるのも。


そういう空気を敏感に感じ取るタイプなので。。



そもそも冷静に考えたら。


大学を中退して。

そのあと長いこと働きもせずフラフラしている人が。

採用される可能性の方が低いわけで。


それでも家族からしたら。

ついに私が長い無職生活から脱出する。


そう期待するに決まっている。


そんな空気のなか、不採用となったら。


大きなダメージを受けるだろうし。

恥ずかしいだろうし。

惨めだろう。


ましてや。

「次もある」などと慰められたりしたら。


余計にいたたまれない。


更には採用されるまで。

次々に応募しなけれならないという。

プレッシャーにも繋がる。


やっぱり失敗は知られたくない。


だから予防線を張っていたのである。


それになぜだか採否にかかわらず。

求職活動をしていること自体知られたくなかった。


「ついに働く気になったか!」

そう家族に思われたくなかった。


自分でもうまく説明できないけど。

なんだか恥ずかしいような気がしていた。


例えて言うなら。


すごくやんちゃだった若者が。

結局やんちゃを貫き通せず。

とうとう社会に迎合して。

更生して真面目に働きだすような。


そんな感じだろうか。


まるで対極にあるような例えだけど。

そのときの私の気持ちに近いような気がする。


なんだろう。

大人になることに抵抗があったのか。


とにかくそういった理由で。

写真を撮るのは、祖父母が留守の日を選んだのである。



ちなみに私はスーツを着るのが嫌い。

今でもずっと。


一度だけスーツ着用を要求された派遣の仕事に就いたが。

すぐに辞めてしまった。


着慣れてしまえば違うのかもしれないけど。

身体の自由が奪われる気がする。

身につけているだけで、あちこち凝ってくる。


革靴だってクッション性がなく。

足裏も踵も痛くなる。


ネクタイを結べば。

首周りは窮屈だし。


そもそも今回の記事の。

初めて証明写真を撮るときだって。


何も見ずにはネクタイは結べなかったわけで。


インターネットのない時代。

検索すれば何でも分かる現代とは違う。


そこで後生大事に保管していたのが。

スーツを買ったときに店でもらったミニミニ冊子。


ネクタイの代表的な結び方がいくつか図解されていて。

標準的なプレーンノットで結ぶのだけど。


大剣と小剣のバランスがとれなかったり。

ねじれてしまったり。

結び目が不格好だったりして。


何度も何度もやり直す。


すべてのことにいちいち躓きながら。

そのたびに削られる気力を振り絞りながら。


ノロノロと前に進む私であった。


写真館


こうして準備万端整えて撮影した証明写真だったが。

驚くなかれ。


結局、その写真は使われることはなかった。


理由はシンプル。

うまく撮れなかったからだ。


記憶が曖昧だけど。


当時の証明写真ボックスは。

撮り直せる回数に制限があったのか。


プリントした写真に納得できなかったのである。


眼鏡と目の位置のズレだとか。

目線がちょっと変だとか。

たったそれだけのことに。


くだらないプライドが邪魔をする。


だったらもう一度金を払って。

いや、それも迷うところ。


二回目の写り具合も気に入らなかったら。

金が無駄になるだけ。



私は逡巡した挙句。

写真館で撮ってもらうことにした。


機械がダメなら人の手で撮ってもらうしかない。


前の記事で書いたように。


初めての店に入ること自体も緊張するし。

店員と話すのもストレスだけど。


こうなったら仕方がない。


私は繁華街に写真館があることを知っていた。


問題は、その日のうちに行くかどうか。


証明写真ボックスでうまくいかなかった時点で。

その日はもう諦めて後日というのがいつもの私だけど。


わざわざ祖父母が留守の日に。

スーツを着て出かけてきているわけで。

距離も大して遠くない。


私は心を決めて、写真館へと向かった。



さて、証明写真ボックスを利用するまでに。

こんなにまで字数を費やしたというのに。


街の写真館は何も書くことがないほど呆気なかった。


もちろん緊張はした。


でも、「履歴書に貼る証明写真を撮ってほしい」

そう伝えさえすれば。


あとは写真屋のおじさんの指示に従うだけ。


「案ずるより産むが易し」という諺があるが。

まさにそんな感じ。


撮影室のようなところに案内されて。

おじさんはいろいろ機材を準備して。


周りをジロジロ観察する余裕はなかったけど。


照明を当てられて。

数回シャッターを切っておしまい。


あとは料金を支払って。

写真を受け取る。


もちろん写真館の写真はすぐにはできない。

五日だか一週間だかかかると言われたと思う。


そのときは言うまでもなく、普段着で行った。


料金は千円とかだったか。

覚えていない。


もちろん仕上がりはバッチリだった。



余談だけど。


今は写真館も仕事内容が変わったのだろうか。

デジタルの時代で。

現像が必要なフィルムなど使わないのだろうか。


私は今に至るまで職を転々としたけど。

写真館を利用したのはこのときだけ。


あとはずっと証明写真ボックスで撮っている。


こうして昔を振り返ってブログを書いていると。

小さな一つひとつの経験が積み重なって。


僅かずつであっても。

自信に繋がって。

できることの範囲が広がっていく。


そんな風に思う。



まあ、そんなこんな小さな小さな紆余曲折の末。

履歴書用の写真は手に入った。


あとは。


履歴書を書き上げて。

応募の電話を入れて。

面接に行く。


先は長い・・・。

というか、ここからが本番。。


このシリーズもまだまだ続きます。