ひきこもり脱出(その9)

2023年4月29日土曜日

アラフィフ ひきこもり ひきこもり脱出 体験談

ひきこもり脱出に向けて。

初めてのアルバイトに応募するため。


家族に知られないように。

なんとか証明写真をゲットした私。 


履歴書もどうにか書き上げた。


前にも何度か書いていると思うけど。

当時は「ひきこもり」という言葉も認識もない時代。


今のように同じ境遇の者同士。

ネットで繋がっているわけでもないし。


私のようなレールを踏み外した人間は。


一人しかいなくて。

一人でもがいて。

一人で勇気を振り絞って。


たった一人で少しずつ進むしかなかった。


履歴書


1994年 平成6年 21歳


当時の私は。

大学入学のときに母に買ってもらったPCを持っていた。


もちろんWindowsではなくDOSのPC。


ただ、ゲームにしか使っていなくて。

ワープロソフトもプリンターもなかったので。


履歴書も当然手書き。


どっちみち今と違って。

機械で書くよりも手書きの方がよしとされていた風潮。


何度か書き損じた記憶がある。

間違ってはいけないと思うと、余計に間違う。


予備の履歴書を買っておいてよかった。



大学入学の次の欄には、こう書いた。

「一身上の都合により中退」


一身上の都合。


便利な言葉だけど。

ネガティブな意味でしか使われない気がする。


だが、それよりもっとネガティブなのは。

大学中退のあとに何も書くことがないこと。


2年半ほどのブランク。


空白。

無職。

停滞。


「この期間は何をしていたのですか?」


面接で確実に聞かれる。

私が面接官でも尋ねるだろう。


何か言い繕った方がいいだろうか。

それとも正直に答えた方がいいだろうか。


言い繕った方が採用の可能性は高くなるだろうか。

正直に答えれば不採用になるだろうか。



資格も免許も何もない。


車の免許については、金を出してあげるからと。

母から何度か言われていたが。


教習所が怖くて行けなかった。



志望動機の欄も面倒この上ない。


「ずっと募集していて採用されやすそうだったから」

などと書けるはずもないし。


そもそも今回はアルバイトの応募。

アルバイトにまともな志望動機などあるのか。


ゲームコーナーの係員なのだから。

「ゲームが好きなので」としか言いようがない。



趣味は「読書」と「映画鑑賞」と書いたと思う。


別に造詣が深いわけでもないけど。

かろうじて趣味と言えるのは。


それくらいしかなかったから。


30年前という時代に。

こういったものが趣味と書くと。


ネクラと思われそうだったけど。

他に何もないのだから、書かないよりはマシだろう。


ネクラ。

反対語はネアカ。


現代用語なら、陰キャと陽キャか。

それすらもすでに古いのだろうか。


分からない。


現代の若者なら趣味の欄に。

eスポーツとか書けちゃうのだろうか。


私が採用担当なら落とすな、きっと。


黒電話


そしてついに。

応募の電話をする日。


最新のアルバイト情報誌も買って。

あの求人が記載されているのを確認済み。


もちろん祖父母が出かける日を選んだ。


PHSも携帯電話も持っていない時代。


応募するにしても。

固定電話か公衆電話からかけなければならない。


祖父母の目を気にせずに済むという意味では。

公衆電話の方がよかったのだが。


やっぱり落ち着かないので。

家の固定電話を使うことにした。


その電話は居間にある。

当時の祖父母の家の電話は、いわゆる黒電話で。


コードレス子機などもない。


祖母は在宅時には。

大体居間にいる。


祖父も居間にいるか。

その隣の自室で寝ている。


応募のことを知られないようにするには。

やはり彼らが留守の日を狙うしかないのである。



アルバイト情報誌とメモを手に電話機の前に座り。

メモを声に出して読み上げてみる。


畏まった電話などかけたことないので。


特に求職のための電話など。

恥をかかないようにきちんと話す必要がある。


相手が応答したら。

その後に続く言葉くらいは淀みなく話したい。


それを事前にメモに書いて用意してある。

その日までに何度か練習もしている。


それだけで。

ストレスもプレッシャーもほんの少し軽くなる。



そしてついに。

受話器を上げた。


その瞬間。


心臓がキュッとなるような。

頭がクラッとするような。


そんな感じがして。

受話器を戻す。。


心臓に手を当ててみる。


・・・。


鼓動が速く大きくなっている気がする。



電話をかけるという行為。

それは誰かと話す行為。


家族や友人なら気楽だが。


知らない人と話すとなると。

ましてや自分の今後を左右する相手となると。


そう簡単にはいかない。


何度も受話器を上げては下ろし。

自分の心のタイミングを見定める。


ただ、あまりのんびりもしていられない。

祖父母が帰ってくる可能性がないわけじゃない。


私は受話器を上げて。

意を決してダイヤルに手を伸ばす。



今の若い人たちは知らないかもしれないが。

昔の黒電話は。


円状に並んだ0から9までのダイヤルの穴に指を入れて。

電話番号の数字を頭から順に一つひとつ回していく。

回した指を金属のストッパー位置で抜くと。

ダイヤルは自動で元の位置へと戻っていく。


それを10桁の番号分繰り返すのである。


当然のことながら。

プッシュホンよりも時間がかかる。


かけ間違いのないように。

一回一回番号を確認しながら。


静寂に包まれた居間に。

ダイヤルが回る音だけが響く。


その緊張感と。

番号を回し終わるまでの長い時間に。


何度も諦めたくなる気持ちを抑えつつ。

最後の番号を回し終える。



一瞬の間のあと。


耳に響くコール音。

そして・・・。


ガチャッ。



私は受話器を戻した。

やっぱり怖い。


一旦立ち上がり、座る。


どうしよう。

切ってしまった。


もう一度電話をかけるにしても。

すぐにはかけられない。


ナンバーディスプレイなどない時代だけど。


それでも直後にかければ。

今さっき切った人だとバレるだろう。


印象は悪くしたくない。

変な人だと思われたくない。


今日は無理か?

また後日にしようか?


せっかくここまで辿り着いたのに?


そうだ。

とりあえず10分待とう。


10分後、まだ気力が残っていれば。

もう一度電話をしてみよう。


それだけ時間を空ければ。

さっきの人とも思われないはず。


・・・。

・・・。

・・・。


ただ待つだけの10分は長く。


何度時計を確認しても。

全然針は進まない。


メモを読み上げる練習をしても。

1分経つか経たないか。


トイレに行ってみる。

1分。


台所で水を飲んでみる。

1分。


こんなんだったら。

すぐに電話してしまった方がよかったかもしれない。。


そんなこんなでようやく10分経過。


大丈夫。

まだ気力は残っている。


最後にもう一度。

メモを読み上げて。


深呼吸。


受話器を上げる。

ダイヤルを回す。


コール音。


「はい、〇〇株式会社です」


ついに。


ついに女性の声が聞こえた。


「もしもし、お忙しいところ恐れ入ります、

 〇〇という求人誌でアルバイト募集を拝見し、

 お電話を差し上げたのですが、

 担当の方はいらっしゃいますでしょうか?」


私はメモを一気に読み上げた。


練習の甲斐もあって。

スラスラと話すことができた。


そして・・。



案の定、まだ募集は継続されていて。

翌日面接に来てくれという話になった。


翌日だと、祖父母が在宅しているかもしれない。


証明写真を撮るときと同じで。

スーツを着て出かければ。


当然理由を聞かれるだろう。


でも、日程調整を申し出ることはしなかった。


前に書いたけど。

自分から何か主張すると。


マイナスの印象を与えると思い込んでいたから。


それに日程調整をしようにも。

次に祖父母が不在になる日も分からないし。


まあ、なんとかなるだろう。



それにしても。


もう30年前のことだけど。

今こうして当時のことを書いているだけで。


なんだか体に緊張が走るし。

涙が出てくるような。

そのときの自分を褒めてやりたいような。


本当に勇気の要ることだっただろう。。


とにかくこの電話から。


私の止まっていた人生は。

再び動き出したのである。



このシリーズはまだまだ続きます。