ひきこもり脱出(その11)

2023年7月29日土曜日

アラフィフ ゲイ ひきこもり ひきこもり脱出 体験談

1994年 平成6年 21歳


建物の入り口に立つ。


たしか大きなビルの一室とかではなく。

小さな建物全部がその会社の所有だったと思う。


駅から面接の会社までは近い。

歩き始めたらあっという間。


緊張感が高まるかと思っていたが、そうでもない。


もちろん緊張していないわけじゃない。


でもやっぱりピークは応募の電話をかけるまでで。

ある意味それまでに心の準備はほとんど終わっていた。


あとはもうベルトコンベアー精神。

ただ流れに乗って目の前のことをやるだけだ。


面接


中に入ると、薄暗い事務所があった。


約束の10分くらい前なので、少し早いかとも思ったけど。

まあギリギリ許容範囲だろう、と。


手前のデスクに女性。

奥の方には作業着っぽい男性が一人いたように思う。


女性が顔を上げる。

眼鏡の奥の目が少し冷たい印象。



いよいよである。


「すみません、アルバイトの面接に伺いました〇〇と申します」


これももちろん練習してきた言葉。

さすがにメモはないけど。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」



面接の担当はその女性だった。

パーティションで仕切られた事務所の片隅。


面接は一度だけ高校受験で経験しているが。


あのときは滑り止めの高校だったし。

意味合いもストレスもまるで違う。


ちなみにその高校の面接では。


「母」と言うべきところで「お母さん」と。

そう言ってしまったことを今でも憶えている。


失敗ばかりが記憶に残る性質なのである。


不意に過去の失敗が脳裏に蘇り。

いたたまれなくなって、低く唸り声が出たりする。


ちなみにのちなみに。


その高校受験の筆記試験を受けているとき。

写真を撮られていたらしく、地元の新聞に載った。


それも大きめに。


地方都市の男子中学生が当時。

メディアに出ることなんてほとんどないし。


別に合格発表とかでもなく。

ただの筆記試験。


撮られたことにさえ気づいていなかったが。

それでもなんかちょっとだけ嬉しかった。


ちなみにのちなみにのちなみに。


もし第一志望の進学校に落ちて。

この滑り止めの高校に行っていたら。


人生違っていたかもな・・。

と、今になって時々思う。。



・・・話を戻そう。


さて、このときは人生で初めての仕事の面接なので。

当時は一般的なものがどうなのか分からなかったけど。


いま振り返ると、結構簡単な面接だった。

時給560円のアルバイトだからか。


かかった時間も10分か15分くらい。


正直、内容についてはあまり記憶がない。

それでも断片的にはっきり憶えているのは。


大学中退とその後のブランク。

その理由を聞かれたときのこと。


まあ、そうだろう。

覚悟していた質問だし。


ここで、何かしら理由をつけて正当化するのか。

それとも正直に話すのか、事前にいろいろ考えたが。



まず大学中退に関してはこう答えた。


「ちょっと・・勉強について行けなくなりまして・・」


表情は自然と、自嘲の笑みになる。


高3のときに死ぬほど勉強して燃え尽きたとか。

大学というものは、もっと楽チンだと思っていたとか。


そういう話はしなかった。

あまり正直に話し過ぎるのもよくない。


ただ単に話が長引くのが面倒だったとも言えるが。



次に、大学中退後のブランクについて。


「仕事をしなければと思ってはいたのですが、

 いろいろ悩んでいるうちに月日が流れて、

 余計に一歩が踏み出せなくなってしまいました」


そんなようなことを言った。


世間一般的に、この答え方がベストではないだろう。

もっとポジティブに受け取られる言い方もあるだろう。


ただ、私はそこまで器用なタイプじゃないし。

噓にならないような言い回しを考えるのも面倒だし。


誰か相談できる人がいれば。

アドバイスをもらえたかもしれない。


現代のように、文章生成AIでもあれば。

非の打ちどころのない回答が作れたのかもしれないけど。


とにかく私はそういう風に答え。

女性にはそれ以上突っ込まれることもなかった。


突っ込まれなかったことでホッとしたのと同時に。

これは不採用かなという直感もよぎる。



「一週間くらいで採否のご連絡を差し上げますが、

 連絡がつきやすい時間帯はありますか?」


最後に女性は私にそう尋ねた。


「いつでも大丈夫です」


反射的にそう言ったものの。

私は当たり前のことを考えていなかったことに気付いた。


採否連絡は家の居間の固定電話にかかってくるのだ。

履歴書の連絡先欄にそう書いてあるのだから。


そして、その着信を受けるのは祖母になるはず。

普段いることのない居間に私がずっと待機するのもおかしいし。


今日の出で立ちがスーツと気付かれていなかったとしても。

その電話で職探しをしていたことがバレてしまうだろう。


電話が来るとき、祖父母が二人とも不在ならいいけど。

それはもう運任せ。


・・まあ仕方がない。

こればかりはどうしようもない。


帰還


そんなこんなで人生初の仕事の面接が終わった。


その会社の玄関を出たときは、採否がどうなるかよりも。

面接が済んだことへの安堵の方が遥かに大きかった。


たった10分か15分そこらのために。


どれだけ準備をして。

どれだけ心の波を待ち。

どれだけ勇気を振り絞ったのか。



帰宅後、やはり見つからないように自室に戻り。

部屋着に着替える。


その後の祖父母の様子は普段と変わらず。

私がスーツで出かけたことには気付かなかったようだ。



面接をした女性は、一週間くらいで連絡すると言った。


逆に言うと。

連絡が来るまでは職探しのことは考えなくていい。


「結果待ち」が自分への免罪符となる。


不採用となればもちろん。

気持ちは落ち込み、焦りが再び芽生えるだろう。


でも、今日の面接の答えが出るまでは。

ある意味、その不安からは解放されるのである。


私は言葉では言い表せないような気持ちだった。


達成感とも違う。

安堵感とも違う。


大学を中退したあの日から初めて。


赦されたような。

自分を赦してもいいような。


そんな心持ちだったのである。